教会に行ってみた
先日、学生時代の友人に誘われて教会へと足を運んでみた。
そこで、なんというか少しショックを受けたので書き留めておこうと思う。
キリスト教の教えの中にも、いろいろな宗派がいて様々な聖書の解釈をしている。
ある宗派は、いつか地上の楽園が現実として現れるとしていれば、ある宗派は天国や地獄が存在するとしている。
今回行った教会は、天国と地獄があると信じている人たちの集まりだった。
牧師は、神を信じないことは何にもまさる罪だという。
人は皆罪を犯しており、本来は皆地獄へ落とされ永遠に苦しむべき存在である。
しかし、神はわたしたちを愛しておられるから、ご自身の唯一の御子、キリストを犠牲にすることでわたしたちに救いをもたらした。
わたしたちの魂は、そのことに感謝し神を信じることで地獄から救われるのだと。
宗教戦争がこれ程にも繰り返されてきたことが理解できた気がした。
キリスト教の中では、信じないことが一番の罪なのだ。
そして、自分が信じるからこそより多くの人たちを地獄から救わなければと感じる。
そうなれば、戦争だって怖くない。
だって、神を信じていれば救われるのだから。
神を信じる故の行動ならば、何でも正当化されてしまう怖さをわたしは感じた。
そして、信じなければ地獄行だと言われて寄付をする人々を初めて目の当たりにして、なぜか悲しい気持ちになった。
わたしは、そのような環境に友人がいたことがショックだった。
どうでもいいけど、気になることを考えない人のが多分圧倒的に多いっていうお話
どうでもよかったり、役に立たないけど気になったり考え込んでしまうことってありますか??
わたしは、よくある。
てかだいたいそんなようなこと考えてる。
というか、そんな類のことをはてなブログに書いているんだけれど。
で、何が言いたいかというとそういうことを考えない人のほうが圧倒的に多いんだろうなという。
そういうことを考える人と話していると楽しいし、相手からそういう話をふられるとつい熱くなってしまう。
でもそういう人はあまりいない。
なので、大体こういう現象が起こる。
わたしがあーだこーだ伝えようとするから、あ、この人なんか面白い人だな、と思われるか、なんだこいつ?て実は思われてるか(笑)
大体友達とそういう話になると、
えー分からん!!て言われて皆でけらけら笑うこともあれば、(理解しようとはしてくれる(笑))
わたしと話すと普段考えないようなこと話すから面白いよ!ってなんか褒められたりするんだけど、
わたしは不完全燃焼という。
ねーあなたの意見が私は聞きたい!もっとあーだこーだ言いたい!て思うのーーねえ!!
もしそこで意見が合ったらそれはそれでだよね!だよね!て楽しいし、意見が合わなかったらもっと楽しいよね。
だってさ、そこで自分的には斬新な考え方を知れて視野が広くなるかもしれないでしょ?
(それが仕事とかには役に立たなくてもね、人間的にね。)
それってすごく面白くないですか??
わたしじゃない人の思考回路を、あーそういうことか!!て理解できるかもしれないのよ。
みんなさ、くだらない事を色々考えてみようよ、面白いから。
終わり。
DIR EN GREYの魅力を初心者が初心者のために語る。
はまらんでしょ、と思ってましたが徐々に順調に沼にはまりかけです。
まず、ビジュアルとかpvとか色々怖すぎでしょ、カオス過ぎでしょ、てのは否定はしない。
怖いわ、さすがに。
怖いんだけど、だけどまずそれは抜きにしてちゃんと聞いてみると唯一無二な、世間に媚びない魅力が沢山あるんですね。
(ちなみに、わたしは最近のDIR EN GREYが大好きです。
THE FINALとか、激しさと、この胸の中で絡みついた灼熱の闇とか、輪郭とか、Un deuxとかとか。)
なので、DIR EN GREY初心者なりに魅力を語ります。
1.京さんの、“voice”という名の楽器
京さんのクレジットは、“vocal”ではなくて、“voice”なんですね。
それって、いい得て妙で。
そのとおりだと思う。
もはや、“voice”という楽器。
DIR EN GREYの編成は、楽器五人だと思うのね。
そう考えると、京さんの歌い方っていうのもすごくすんなりくるんですね。
DIR EN GREYが所謂一般受けしない大きな理由の一つに京さんのシャウト、だとかグロウル、てのがあると思うのね。
一応歌詞はついているのだけれど、全くもって聞き取れない、叫び声っていう。
中々理解できない世界ではあるけれど、京さんの声を楽器だと思って聞くと、なるほどね、と思う。
ドラム、ベース、ツインギター、ボイスっていう5人で音楽を作っている。
楽器隊プラスボーカルではなくて、みんな楽器隊というイメージ。
だから、旋律だけ追っても音楽にならない場面が多分にあって、5人の音が鳴っていて、始めて音楽になる。
京さんの声は京、という唯一無二の楽器なのです。
2. 京さんの“voice”の技術
音域が広すぎる。
一人の人間で歌えるのが驚愕。
上もすごいんだけど、下もすごすぎる。
そして、声色の多様さ。
多様なんだけど、京さんだと分かる個性。
地獄の底から聞こえてくるかのような声を出すかと思えば、とても清らかな声を聞かせてくれる。
そして、なんとも切ない声なんだよね、京さんの声って。
全然甘いのかけらもない声。
誤解を恐れずに言うと、癒やされる声、という部類ではないと思う。
だけど、DIR EN GREYの世界にはめちゃくちゃ合ってて。
正に“痛み”だよね。
3.ドラマチックな楽曲
DIR EN GREYの曲って、ドラマチックなんだよね、すごく。
オーケストラ、てイメージ。
曲をドラマチックにしている1つ目の要素が、曲の構成。
静と動のメリハリがある。
DIR EN GREYっていうとうるさい、てイメージもあると思うんだけど“静”の部分もDIR EN GREYの音楽の要素として結構大きい。
例えば曲の構成として、
静→動→静(Aメロ)→動(サビ)
とか
動→静(Aメロ)→動(サビ)
とか。
動→動(Aメロ)→動(サビ)
もあるけどね。
2つ目は、メロディーの美しさ
メロディーもちゃんとある時はある。そしてそれがとても美しい。
そこらへんは、何となくX JAPANと同じ匂いを感じる。
DIR EN GREYの面白いところは、一曲の中で混沌と美しさが共存しているところ。
Aメロは叫んでるんだけど、サビではとても美しいメロディーに変身を遂げる。
その振り幅も曲をドラマチックにしていると思う。
(全部叫んでる曲もある。それはそれで異世界でいいと思う)
3つ目は、ほぼ全部が聞かせどころのドラム。
すごいと思う。
shinyaさんのドラム好きなんだよね。
スパーンスパーンドコドコ!シャーン!て。
ドラムの洪水。
手数が多分めちゃくちゃ多いんじゃないかなあ。
ドラムのアレンジを変えたら、全然違う雰囲気になると思う。
あのとめどないドラミングも、DIR EN GREYの曲をよりドラマチックにしていると思う。
金正恩として生を受けるということについて。
これよく考えるんです。
彼は何を考えているんだろう、独裁者の息子に生まれてその地位をあの若さで受け継いで体制を維持していくということはどういうことなんだろう、て。
わたしは、絶対に北朝鮮の総書記の息子には生まれたくない。
絶対にやだ。
自分が失脚すれば、殺されることが目に見えている、生まれながらにして憎まれる存在。
失脚しなくても、いつ誰に裏切られるか分からない。
北朝鮮の外に出て勉強をした彼には分かっているだろう、自分の立場の危うさ。
彼は父親の思想的なものを受け継いでいるように思えるけれど、本当のところどうなんだろう。
自分の立場では、独裁者でいなければ殺されると諦め、怯えているのか。
朝鮮は金一族が支配するべきだ、というような事を思い、ある種の使命感を持って独裁者となっているのか。
諦めにせよ、使命感にせよ、彼が怯えていることはおそらく間違いないと思う。
だから、側近のことも信じられないのだろう。
本当の意味で全力で頼れる、気を許せる人は彼にはいるのか甚だ疑問。
多分いないんじゃないかなあ。
ほんとのところ彼がどう考えているかは分からないけれど、地獄だよね、ほんと。
本気で頼れる人もおらず、国民には裏で憎まれ、世界からは白い目で見られ。
自分の命を守るにはああするしか術がない、というのも理解ができるから辛いね。
そんなことをときどき考えて、なんとも言えない気持ちになるのでした。
SONY ウォークマン a50シリーズ
使い始めてすこし経ちましたので、ここら辺でレビューを。
まず、わたしが買ったものの基本情報。
容量 16GB(AACファイルで1600曲)
値段 28,880円(税別)
有線イヤホン付属
まあこんなところ。
ここが良い!
①音質設定が割と細かくできる
イコライザーをいじると、大分聞こえ方が変わって、自分好みにできる。
他にも、これ変わったのか?とわからない機能もあるがいろいろ試せて楽しい。
わたしは、低音!て感じが好きなので谷型?にした。
わたしはスマホもハイレゾ機能がついてたから音質の良さに感動とかはしなかったけど、色んな音が聞こえてグッドです。
②ノイズキャンセリング機能
感動する、これは。
音量をあげなくても細かいところまで聞こえる。
ただこの機能を使うなら、あまり音量をあげないほうがいい。
あげすぎるとほんと世界が無音になっていろいろと危なそう。
あまり音量あげなくても、人が無音で歩いてて不思議な感覚になる。
③外音取込み機能
ノイズキャンセリングと逆の機能。
これも面白い。
試しにこの機能をオンにしてアコギ弾いてみたら、自分の音が聞こえる聞こえる!!
音楽に合わせて楽器練習するのにとても良いと思う。
⑤iTuneの音楽を簡単に入れられる。
ドラッグアンドドロップ。
終了。
色々凝りたい人は(歌詞とかプレイリストとか)大変らしいけどわたしはこれで十分。
微妙なところ
①アートワークがなぜか反映されないものも。
気にしなければまあ、というところ。
でもちょいもやもやする。
②イヤホンがちょっと重い。(付属の有線イヤホン)
前のと比べるとフィット感がいまいち足りなくてイヤホンがなんとなく重い気がしてる。
③イヤホンに再生等のボタンがない。
音量調整とか曲飛ばしとか本体でやらないといけない。
④iTune的な便利さはない。
プレイリストだとか、よく聞く曲だとか、iTune的な機能はない。
良くも悪くもシンプル。
と言ったところでしょうか。
全体としては値段相応、大変満足しております。
これから長く使いたいな。
そして、もう元完全にとった!と思ったら、ワイヤレスイヤホンに変えたいな。
音楽ストリーミングについて思ったことあれこれ。
最近、音楽の聞き方についていろいろ考えた。
なぜかというと、わたしはこのままYouTubeで音楽をただで聴き続けていいのだろうか、応援したいと思っているのなら、わずかでもアーティストに還元できる方法を選ぶべきなのではないか、と思い始めたから。
だってさ、YouTube越しにだけどめっちゃ感動もらってるもん!
かっこよすぎるーーーって、なってるもん。。
素敵な異世界見せてもらってるもん。
Chopinと同じ時を生きるのは叶わないけれど、かっこいいと思う音楽をやってる人が同じ時代にいるんだからさ、お礼したいじゃん。
ライブ行く勇気はなくてもさ。
CD全部揃えるまではできなくてもさ。
そこで、アップルミュージックのストリーミングサービスを試しに使ってみたのです。
結構曲数もあって、おもしろい。
流行りを追っていく聞き方なら、とてもいいと思う。
ただ、これだけで音楽を聞いていくのは如何なものなのだろう、と考えていたわけです。
要は、データにお金を払って聞くのよね。
アップルミュージックを解約したら手元には何も残らないんだよね。
たとえば、プレイリスト見て、ああ、あの時この曲よく聞いてたなあ、とかそういうことも出来ないんだよね。
今っぽいっちゃ今っぽいよね。
過去は振り返らない、所有しない、みたいな。
音楽ってそもそも所有の対象じゃないのかな、とかおもったり。
けど、なんか定額ストリーミングって食べ放題みたいな感じがして、もっと一曲一曲を大切にしてあげてほしい、とか思ったり。
なんかもやもやした感情があって、でもこの感情の元が何なのかいまいち把握できなくて。
で、考えてみたらわかった!
わたしの記録グセだ。
日記を書いたり、ブックメーター登録したり。
要は、音楽の記録をしたいんだ、わたしは。
そういうことだ。
てことで、SONYのウォークマンをネット購入したのでとっても楽しみ。
結局、ほんとに応援したい時は、グッズ的な意味合いでCD買って、応援したい時はiTuneで買って、興味があるときはGEOにしようという結論になりました。
音楽の孤独 僕は音楽をやめた
最近、ヨルシカの、だから僕は音楽をやめた、をよく聞いています。
聞くたびに思います。
わたしは、音楽をやめたんだろうか。やめてないんだろうか。
子供の頃、物心ついた頃から中学2年生まで、毎日毎日弾いてたピアノ。
ピアノがあったから、わたしは家族皆で泊まりの旅行に行ったことがありませんでした。
1日休むと、3日戻るから。
そして、わたしは音楽の前で孤独だった。
わたしと同じようにピアノと向き合う仲間がいなかった。
母は毎日練習を見てくれていたけれど、彼女はピアノを弾けない。
ピアノの前での絶望感を彼女は知る由もない。
高校のことを考えるようになった時期、音楽高校に行くかどうかという話もあったけれど、いつの間にかその話は立ち消えになっていた。
多分、わたしが行くと言わなかったから。
なぜわたしが音楽高校に行きたいと言わなかったのか。
お金の問題も考えたけど、結局わたしは音楽が怖かった。
終わりがなくて正解がなくて果てしない底なし沼のようだと思った。
こんな不毛な毎日が続くのかと思うと、人生ここで終わらせたら楽かもしれない、とか、音楽なんて、ピアノなんて存在しなければ良かったのに、とも思った。
練習しても、しても、したりないもどかしさがわたしを練習嫌いにした。
練習が嫌いな人がそれを続けていくのはとても難しい。
わたしはピアノから逃げた。
だけど、高校に入ったわたしは吹奏楽部に入部した。
中学ではピアノがあるからと諦めた部活。
楽しかった。
多分、その時は頑張っていたけれど所詮学生の部活だったというのと、仲間がいたから。
そして、ピアノからは離れたけれど、わたしはやっぱり音楽は好きだった。
勉強がうまくいかなくなって、部活をやめる話も出たけど、絶対やめたくないと言うことを聞かなかった。
そして、部活を引退してから大学受験までの辛い時、その気持ちをぶつけられたのは意外にもピアノだった。
かつてはわたしの生活の一部であり、敵だったピアノは、わたしを理解し、受け入れてくれた。
大学に入って2年目でピアノサークルに入った。
わたしはまたピアノを始めた。
趣味として。
昔は、絶対に自分からピアノの前に座ることがなかったけれど、今度は自らピアノの前に座って練習をするようになった。
技術のなさにもどかしく思う気持ちは変わらないけれど、少しはそれも受け入れてピアノを楽しめるようになった。
何より、自分で弾ける曲、弾きたい曲を選べるようになった。
そして社会人になってから、わたしは新しくギターを始めた。
大人のお遊びみたいなものだけれど、また新しく音楽を始めた。
ピアノも少し弾いている。
昔音楽から逃げたわたしは、結局音楽をやめることはできなかった。
昔は、本気でやっていないと音楽をやっているなんて言っちゃいけないんじゃないかなんて思っていたわたしは、趣味でも音楽を続けてるって言っていいのかな、と思えるようになってきた。
それは、音楽仲間を見つけることができたからかもしれない。
音楽の孤独には、皆で支え合い、励まし合って立ち向かわないといけないのではないかと思う。
あの曲を聞くと、そんなことを思う。