次は、親子の場合。この場合の分かり合う、が一番厄介な気がします。

特に親は、たとえ子供でも完全に分かり合えることが無いことを認識できない場合があるように感じます。子供を、自分の世界を持った個別の人間と認識するのは、思いの外難しいのでは無いでしょうか。例えば、子にとって親は1人の人間ではなく、ただの親であることがあるように、親にとって子は、1人の人間ではなく、子でしか無い場合があるように感じます。わたしも、親は完璧な親ではなくて人間なんだ、とある日気づきました。母親も、ゆきちゃん(姉)は、髪の毛短くするし(母は長い髪のが好きでわたしたちは小さい頃ずっとロングだった)えりちゃんは、糸の切れた凧みたいにいろんなとこ行ったり山行ったりするし(わたしは、小さい頃は家でずっとピアノ弾いたり本読んだりしていた)(母は女の子らしいのが好きで、1人で旅行どころかお出かけさえ行きたがらない)と、別個体であることを改めて認識したようでした。

これって、すごく大切な気がします。これがなければ、ほんとの人間関係は築けない気がします。違うけれど、どう心地よい関係を、信頼できる関係を築いていくのか。ここからがお互いに心地の良い関係を築けるかスタート地点に立てる気がします。

いきなりですが結論!!

人と人とは、分かり合うことはできない。(定義1)

しかし、人と人は、どれだけ分かり合えると思った人でも、(もとから気が合わないな、と思う人は除く)皆が確固とした別人であり、自分と全く同じ考え方をする人は存在しないと気づいた時に、お互いに信頼し、尊敬できる心地よい関係を気づくことができる可能性を持つ。

そうなることで、どうしても譲れないところがあったとしても、お互いに尊敬したまま別れることができる。

 

要は、人と人は分かり合うことはできない。分かり合えるというのは幻想である。(わたしの定義によると)

 

んー論点がぶれてる気もするがまあいい。