尾崎豊とマリーキュリーの話

ぼくらは町でつくりだされたんじゃない

ぼくらも自然なんだ 青空のような

ぼくらはこの青空のひとつぶなんだ

 

 尾崎豊

NOTES 僕の知らない僕

 

共感する人!(^^)/

 

思春期にそんなようなことを考える人は、多分一定数いるんだろうな、と思う。

ね、人間も自然の一部のはずなのにね。

 

なんでか忘れたけど、この前、原子力の生みの親のマリーキュリーのことをポチポチ調べていて、何なんだろうと思った。

 

その時の日記こちら

マリーキュリー、原子力を見つけた人。

きっとこの人がいても、いなくても、いつか、誰かが発見したのだろう。

どこかのタイミングで。

化学とは、そういうものなのだろう。

前だけを向いて、どこまでも貪欲に、研究をしていくものなのだろう。

その研究はきっと何も間違っていない。

ただ、爆発的な力を持ったものが見つかれば、それは武器にならずにいられるわけがない。人間は本来(一部の人間は)そういうものだ。

大昔から武器は絶えず作られ、より強く無情なものへとなっていく。

それは避けようのないことなのかな。

なら、なぜそのようなものが自然界にあって良いのだろう。 

(ここからいきなり話が変わるのだけど、多分なんで人間は自然をそのまま受け入れて共に生きることができないんだろう、というようなところに思考が飛んだと思われる)

人間がいなければ、いま地球はどれほど美しく自由だろう。

星は輝き、海は澄みわたり、地はどれほど広いのだろう。

なぜ、人は自然の一部になることができないのだろう。

本来動物であり、自然であるはずの人は、なぜ自らを破滅に向かわせ続けるのだろう。

今日という日を生きるために。

(でもこういう発想って、間違えるととても恐ろしいものなんだと実は数年前に気づいたのね。ポル・ポト政権がそうなんじゃないかと思う。)

 

うん、脈絡不明すぎる 笑

まあいいんだ、日記だから。

そういうことで、共感の嵐が止まらないのですよ。

 

でね、マリーキュリーの話に戻る?と、ほんとにわたしは不思議なんだ。

長い地球史の途中で、原子力が発見されて、原子力爆弾が作られて、原子力発電所が作られることは必然だったのか、原爆のない世界は存在し得る可能性があったのか。

 

多分だけど、科学者と呼ばれる人たちがいる限り原爆のない世界が存在する可能性は、やはりとても低いように感じるなあ。

 

だからこそ、とても不思議なの。

そんな恐ろしものが作られることが必然だと思われることが。

原爆のある未来は太古の昔から決まっていたのではないか、なんてことを考えると、ハテナマークが頭の中を覆い尽くすような感覚になるのでした。

 

尾崎豊のことを言いたかったのか、マリーキュリーのことを言いたかったのか、どっちなんだ、わたし!