神様のボート
小説のあらすじは紹介しませんが、ネタは思いっきりバラしますので、ご注意を。
あとがき
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いままでに私の書いたもののうち、いちばん危険な小説だと思っています。
と、江國さんはあとがきを締めくくっている。
どこがそんなに危険な物語なのか。
それは、最後の最後に会えてしまったところで物語が終わるからだ。
とわたしは思う。
結局彼は現れなくて、娘に目を覚まさせられて、これからは現実を歩いていこう、という結末なら。
桃井先生のところにお邪魔したら、帰り際に10年以上前にきみを訪ねて来た、と伝えられたところで物語が終わっていれば。
彼に再開した後、その人を目の前にしたら愛は消えてしまった、という結末なら。(斜陽みたいな)
それほど危険な物語ではないだろう。
現実はそうだよね。と言って、読み終えることができるし、人を救うことができるかもしれない。
例えばこの物語のように、ダブル不倫をしている人たちがいたとしたら、いくらその彼が甘い言葉を言おうと、結局うまくいかないよね、そうだよね、と思ったり、
例えば、ダブル不倫の末消えた彼を待ち続けている人がいたとしたら、彼女たちはこの物語に支えられて、神様のボートから降りることができるかもしれない。
もっと言えば、結婚詐欺とかそういう類の人を、目覚めさせることができるかもしれない。
ただ、この物語はそうではない。
彼女は、神様のボートに揺られて、運ばれて、目的地にたどり着いてしまうのだ。
娘が親離れをして、もうママの世界には住めない、と言われ、目を覚まし始めていた矢先、彼が現れてしまう。
夢は覚めなかった。最後まで。
傍から見たら、どう考えても嘘つきな彼が、約束を果たしてしまうのだ。
これは、とても危険。確かに。
ダブル不倫の末に、いつか必ずあなたを探し出す、なんて言って消えてしまう彼は、嘘つきのろくでなしでなくてはならない。
相場はそう決まっているはずなのに。
そうはならない物語なのだ。
江國様恐ろしや。