音楽の孤独 僕は音楽をやめた
最近、ヨルシカの、だから僕は音楽をやめた、をよく聞いています。
聞くたびに思います。
わたしは、音楽をやめたんだろうか。やめてないんだろうか。
子供の頃、物心ついた頃から中学2年生まで、毎日毎日弾いてたピアノ。
ピアノがあったから、わたしは家族皆で泊まりの旅行に行ったことがありませんでした。
1日休むと、3日戻るから。
そして、わたしは音楽の前で孤独だった。
わたしと同じようにピアノと向き合う仲間がいなかった。
母は毎日練習を見てくれていたけれど、彼女はピアノを弾けない。
ピアノの前での絶望感を彼女は知る由もない。
高校のことを考えるようになった時期、音楽高校に行くかどうかという話もあったけれど、いつの間にかその話は立ち消えになっていた。
多分、わたしが行くと言わなかったから。
なぜわたしが音楽高校に行きたいと言わなかったのか。
お金の問題も考えたけど、結局わたしは音楽が怖かった。
終わりがなくて正解がなくて果てしない底なし沼のようだと思った。
こんな不毛な毎日が続くのかと思うと、人生ここで終わらせたら楽かもしれない、とか、音楽なんて、ピアノなんて存在しなければ良かったのに、とも思った。
練習しても、しても、したりないもどかしさがわたしを練習嫌いにした。
練習が嫌いな人がそれを続けていくのはとても難しい。
わたしはピアノから逃げた。
だけど、高校に入ったわたしは吹奏楽部に入部した。
中学ではピアノがあるからと諦めた部活。
楽しかった。
多分、その時は頑張っていたけれど所詮学生の部活だったというのと、仲間がいたから。
そして、ピアノからは離れたけれど、わたしはやっぱり音楽は好きだった。
勉強がうまくいかなくなって、部活をやめる話も出たけど、絶対やめたくないと言うことを聞かなかった。
そして、部活を引退してから大学受験までの辛い時、その気持ちをぶつけられたのは意外にもピアノだった。
かつてはわたしの生活の一部であり、敵だったピアノは、わたしを理解し、受け入れてくれた。
大学に入って2年目でピアノサークルに入った。
わたしはまたピアノを始めた。
趣味として。
昔は、絶対に自分からピアノの前に座ることがなかったけれど、今度は自らピアノの前に座って練習をするようになった。
技術のなさにもどかしく思う気持ちは変わらないけれど、少しはそれも受け入れてピアノを楽しめるようになった。
何より、自分で弾ける曲、弾きたい曲を選べるようになった。
そして社会人になってから、わたしは新しくギターを始めた。
大人のお遊びみたいなものだけれど、また新しく音楽を始めた。
ピアノも少し弾いている。
昔音楽から逃げたわたしは、結局音楽をやめることはできなかった。
昔は、本気でやっていないと音楽をやっているなんて言っちゃいけないんじゃないかなんて思っていたわたしは、趣味でも音楽を続けてるって言っていいのかな、と思えるようになってきた。
それは、音楽仲間を見つけることができたからかもしれない。
音楽の孤独には、皆で支え合い、励まし合って立ち向かわないといけないのではないかと思う。
あの曲を聞くと、そんなことを思う。