歴史が実像を持つ時。

この前、京都国立博物館の、国宝展なるものに行ってきました。

結構前から4期に分けてあったらしいのですが、終わる直前に知り最後のⅣ期目のみ行くことができました。

人の多さはさながら、展示品凄かったです。

縄文土器とか、縄文のビーナスとか、尾形光琳の燕子花図屏風とか、伝源頼朝像とか。

教科書とか資料集にのっていて、ふ〜ん、としか思っていなかったものたち。

それが、目の前にあるんです。2000年近く前に生きた人たちが作った、見たものがあるんです。歴史を作った人が書いたものが目の前にあるんです。何百年も前に人々が願いを込めて作ったものが、すぐそこにあるんです。

歴史って、座って勉強していた時は結構味気ないものでした。わたしたちにとって、歴史は過去。つまり、変わりようのないものです。

けれど、それを現在として、変わりゆく時として生きた人たちがいる。当たり前なのだけど、そんなことを強く思いました。

一人一人が生きて、命がわたしに繋がってるんだなんて安っぽいようなことを思いました。

歴史の中に出てくる人たちも、歴史上の登場人物、ではなく、人、なのだと確かにわたしたちと同じように生きたのだと実感しました。

そして同時に、わたしたちもいつか過去になるのだとも思いました。

特にわたしなんかは、数百年経ったら、いたかいなかったか分からないような存在でしかないのだと思い知るのです。

そして、そんな儚い存在でしかないならば人生気楽に笑って過ごしたもん勝ちだな、と思ったのでした。