優しいの罠。
江國さんの、きらきらひかるを読んだ時うんうん考えてたんだけど。
優しいってなんだろ。よく言うよね、理想のタイプは優しい人♡とか。じゃなんでもやってくれる優しい人ならいいのか?て言うと、実はそうでなかったりもするよね。
言葉ってなんでもそうだけれど、単純に定義することって出来なし、まず複数人で定義の一致を図ることがすごく難しい。
優しい、てよく使われる言葉だけれど、それも何をもって優しいのか、それは先天的なものなのか、後天的なものなのかとかいろんな考えがあるはず。
まず私が思うのは、義務感からくる優しさは、本物の優しさではない。こうしてあげるべきかな、とか、こうしてあげないと、からくるものではなく、単純にこうしてあげたい、と思うのが本物の優しさかな。もちろん、いろんな人間関係に関して義務感的な優しさもある程度大切にはなると思うけれど、それだけじゃすぐに見破られてしまう。
基本的に、ある程度気を使ったりするのは大切だけれどある程度以上は普通にしてればいいと思う。皆に好かれようとして常にいい人でいなきゃ、て必要もないと思うし、自分がこうしてあげたいな、て思ってしたことがたまたま優しくて、それが総じて優しいね、という他人からの評価になったら嬉しいな、という程度でいいのかな、と思う。
ここまでは単なる私の見解。キラキラ光るを読んで考えてたのは。
周りに優しいと思われたいから色々考えてそうするのではなく、その人のことを思いやるから、大切だから、あるいはそうするしかどうしていいか分からないからこそ自然とそうしてしまう種類の純粋すぎる優しさって正しいけれど時に残酷だし、相手に窮屈さを与えてしまうこともあるのかな、てこと。じゃあ優しさってなんだ!?てなって数か月。
思い出したんだけど、学生の頃バイトを始めたばかりの頃。わたしは、申し分なく背が低いせいで実際よりも力が無く見えるのね。で、持てるけど割と重いものを定期的に運ばないといけないことがあって。わたしが初めてそれを運ぼうとしているのを見て、その仕事をやる立場にない男性の社員さんが、腰痛めるといけないし、持ってくよ、と、何の悪気もなく言ってくれて。わたしもついお願いしちゃったのね。そしたら、わたしを教えてくれてた女性の社員さんが、後で、今回は、〜さんが運んでくれたけど、毎回それじゃ困るから。今度からはちゃんと自分でやって。まあ、当たり前っちゃ当たり前。でも、割と冷たく言われて今でもこうしてああ、そういえば、て思い出す程度には傷ついたんだ。わたしが、その人に持ってください〜って言ったわけじゃないのに。何でわたしが怒られないといけないの。て。
何がいいたいかと言うと、なんでもかんでも、てのが優しさじゃないってこと。(それが本心だとしても)
時には放っておくのも優しさだし、敢えてつれない態度をとったり、別れを告げるのも場合によっては優しさ。ちょっと離れたところから見守るのも優しさ。何かちょっとしたことをお願いして、感謝するのも一種の優しさ。実は嘘をつくことだって優しさ。
さて、本題。
〈きらきらひかる〉
何でもしてくれる、夫、睦月。お医者さんで、朝一人で起きると自分で朝ごはんを作って、妻の笑子の分のご飯も作り、部屋の中を適温にして、適度なボリュームで今日の笑子のBGMとなる音楽を流したまま仕事に出かける。(まだこの時笑子は寝ている)家事も大好きで、全部やってくれて、笑子に与えられた家事は、シーツにアイロンをかけることだけ。情緒不安定な笑子がどれだけ暴れても、睦月はただただ優しくしてくれる。
これは、きらきらひかる、の一説。
睦月は潔癖症なのだ。自分で何もかもピカピカにしないと気がすまない。
じゃあ靴でも磨こうかな、と言ったら、今磨いたよ、という返事がかえってきた。
「どうしたの」
つっ立っている私をみて睦月は不思議そうに聞く。睦月は時々おそろしく鈍感だ。
(p18)
ふりむくと、笑子は台所のすみに立っていた。
「なんだ、そこにいたの」
「アイロンをかけるのは私の仕事だって言ったじゃない」
せっぱつまった顔つきで笑子は言う。
…中略
ぴんとしたシーツ、好きでしょう?
「……うん、そうだね」
…中略
アイロンをかけに、寝室にひきあげていく笑子を見送りながら、彼女をおいつめているのは僕なのだ、と思った。ひどくせつなかった。
(p104)
結局人と人は相手の気持ちを思いやることが一番大切なのかも。
まず、純粋に困ってそうだし、とか大切な人だし、とか何でもいいのだけど、こうしてあげたいな、したいな、と思う。そこで、自分だったらどんな気持ちになるかな、肩身の狭い思いさせないかな、とか逆に相手を傷つけることになったりしないかな、とか。相手の立場に立って考えてみる。
自分が何かしてあげたい、と思った時に、相手のことも考えた上で、そうすればいいと思う。
逆に、それでやったことを迷惑がられても、それは悪いことではないと思う。ああ、そう考える人もいるんだ、て少し大人になったり、もう少し相手の立場に立つことができるようになるだけ。
わたしたちは、優しい、という言葉にともすると脅迫されているというか、縛られがちだけれど、その単語に縛られてはいけないのだと思いました。
まあでもこのもやもやはまだ簡単には晴れそうにもありません。